ひーたんの父-僕の生い立ち-

2019年 7月 4日

ひーたんです✨

この日は、父の住む日光の家へ

僕・わかな・僕の母・僕の父 の4人で、いろんな話をしました。

この日からは随分と日が経ってしまいましたが
この1,2ヶ月の間にも様々なことがあり
わかなと僕も、ようやく色々のことが落ち着いてきたところで
わかながこの日を思い返して、ブログにしてくれました。

そこで、僕も
今回は、少し、
僕の生い立ちなんかも交えながら
書いていこうと思います。

二度目の訪問 父の家へ

父の住むこの日光市の家に訪れるのは、僕は人生で二度目

一度目は、ほんの1年前ほど。

僕が生まれ育った宇都宮の実家とは、違う家です。

僕は、戸籍上では「母・僕・妹」の3人。
母子家庭の家で育ちました。

僕が幼い頃、「父」は、週末だけ家に居ました。

金曜の夜に「おかえり」と父の帰りを迎え、
一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、
そして僕・妹・母・父4人一緒の寝室で寝て。

土日をお出かけや家でゆったりして過ごして、
日曜の夜に、「いってらっしゃい」と父を見送る。
というような生活でした。

土日はいつも、自転車で公園に出かけたりしました。

いつも僕は、父の漕ぐ自転車の、子供用座席に乗って
妹は、母の漕ぐ自転車に乗って。

5歳か6歳のころ、父の助けを借りながら、
補助輪を外した自転車にようやく乗れるようになって。

それ以降は、僕は自分の自転車に乗って、父の後ろを追いかけて漕ぐようになりました。

家では一緒にプラレールをつなげて遊んだり、工作や大工をしたり。

父の影響で僕も、モノづくりが大好きで。

家のリビングの中に、子供用の一軒家を一緒に造ったこともありました。

父と一緒に一から設計して、木材や工具なんかを買って、ふたりで組み立てたりしました。

たたみ一畳分ぐらいの広さで、立派に、屋根や窓、扉も鍵がかかるような仕組みで。

当時保育園児だった僕にとって、秘密基地みたいでわくわくして、絶好の子供部屋になりました。

その他、家の中にハンモックのようなブランコを造ったこともありました。

偉大な父

幼い頃から、父は僕に、なんでも教えてくれました。

花の美しさ、自然界の生き物、人間の進化の歴史、食べ物の栄養や、いろんな人の人生観。

ひらがな、カタカナ、漢字。掛け算九九なんかは、僕が3才の頃に父が教えてくれました。

数の概念や、自然科学的なものの見方。 宇宙のことも。

夜空に浮かぶ星は、太陽と同じだってこと。月の満ち欠けのしくみ。

地球はまるいこと。

地球の半径が約6,000 kmだから、地球を一周すると約40,000 kmだということ。
“光”にも速さがあること。光は1秒間に地球を7周半すること。

地球と太陽は1億5,000万kmも離れていること。

だから、今見ている光は、8分前に太陽が放った光だということ。宇宙の年齢は130億才だということ。

当時まだ小学校にも入学していない僕に、父は子供だからと見下すことなど一切なく、何でも教え、一緒に考え、学びあってくれました。

母子家庭であること、他の家とは少し違うっていうことを、最初に気づいたのは小学1年生のとき。

何気ない、家庭訪問用の提出書類です。

そこには、両親の名前を記入する欄があるのですが、母に書いてもらった書類には、母の名前しか書いておらず、父の欄は空欄のまま。

そのまま提出しました。

この時から、僕は幼いながらもなんとなく、
父をより特別な存在に感じるようになりました。

偉大な父。

そんな父は、ちょうど僕が中学校にあがる頃、病気をしてしまい、
一緒に過ごす時間は、土日の週2日から、月に数回、数か月に1回…
僕が高校生のころには年に1,2回ぐらいで、
大学生にあがってからはもう、全く会っていませんでした。

知らなくていいこと

なぜ母子家庭なのか。

父はなぜ週末しか帰らなかったのか。

病気をしてから、ほとんど会えなくなったのはなぜか。

それを知ったのは、僕が大人になってから。

ちょうど1年前の今頃。

わかなと出会った、ちょうど1年前の今頃。
21才の夏です。

僕はそれまで、父の生い立ちや父の生活、
父の歳、さらには、父の名前さえも、僕は知りませんでした。

正確には、僕は、知ろうとしなかったのです。

僕は、幼いころから、父を尊敬していました。

僕の父ちゃんは、普通の人じゃない。特別な存在。

(父のことは「とうちゃん」、母のことは「かあちゃん」と呼んでいます。笑)

なにか、ほかの家のお父さんとは違う、壮大な魂を持った人。

どこか、近づき難くも親しみ深く、

僕にとって、父ちゃんは、父ちゃんでした。

いつか、本当のことを聞いてみたい。

そう思うことはあっても、その「いつか」はなかなか訪れませんでした。

僕自身が、まだ知らなくていいことだな、と感じていたのです。

わかなとの出逢い

わかなと出会ってから

僕は初めて、父を知ろうと思うようになりました。

僕とわかなが初めて出会ったのは、すっかり暗くなった真夜中。

すれ違う人の顔もよく見えないような、薄暗い夏の夜でしたが
そんな景色の中、目の前のわかなだけは、
眩く光り輝くように、キラキラして見えました。

わかなは、僕と初めて出会ったその日から

僕に、素敵な世界をたくさん見せてくれました。

素敵な世界というのは、世界の観方です。

他の言葉で言えば価値観、そして人生観
ものごとの考え方、とらえ方。

そのどれもがキラキラ輝いていて

いろんなことを経験してきた、わかなだからこそ持つ

磨きに磨きあげられた、美しいもの。

わかなと日々話をしているうち
僕はときどき、わかなを、父と重ねることがありました。

幼いころから父が僕にしてくれた話と

どこか、共通するような部分も多く。

そしてある日、わかなが僕に言った言葉

「ひーたんのお父さんを、感じることがある。
 ひーたんへの強い想いが、伝わってくる。」

わかなは、生まれたころから
魂だとか、オーラだとか
いわゆる霊感の強いほうで、

僕の父の念を感じる、というのです。

実は、幼い頃の父との記憶で、
種類は少し違うかもしれないけど、そういうような、いわゆる不思議な感覚というのを、父も持っていました。

そのような念や波動と呼ばれるような概念は、
もちろん学校では習わないし、不思議な、近づき難いものと感じていました。

だから、父を知ろうとしなかったのかもしれません。

でも、わかなの生きてきた世界見てきた世界を知って、
それはもっと身近なもので、高尚で、
それを理解したときに、視野がもっと広がって、世界が広がって

日々の人生を、より豊かに過ごすことが、できるようになりました。

僕はバリバリの理系で、大学では物理学の研究をしていますが、
父やわかなの話す、少し不思議な話というのは、実は自然科学とすごく似ているなあと感じる部分が多いんです。

魂も、念も、波動も、四柱推命のような運命学なんかも、
現代の物理学・化学・生物学などの元となる自然科学が発展してきたプロセスと、まさに同じような考え方なんです。

特に、いわゆる運命学と言われるものは、

「とある現象(物理なら物理現象、運命学なら人生での出来事)があって、統計をとってデータ化し、 それを説明するための仮説を立て、実験によって仮説を実証して、理論を構築する。」

というような過程によって、体系づけられています。

そのプロセスは、まさに、
人類が文明を発展させてきたプロセスと同じで、
次元の高い、ひとつの考え方だと思うんです

父を知ること

「ひーたんのお父さんを、感じることがある。」

というわかなの言葉と、わかなが話してくれる素敵な世界を知って
僕は初めて、父を知ろうと思うようになりました

そこで、ちょうど1年前の夏。
僕は初めて、自分から父に電話をかけました

久しぶりに会話するけど、父の声を聴くと、全然久しぶりという感覚がしなくて。

それは、後になって納得したことですが、
父は、離れていても、毎日ずっと僕を想っていてくれていたからです。

僕は、無意識にも、父の愛を感じて育ってきました。

だから、わかなも、父の念を感じたのでしょう。

父に電話で、僕は、

「父ちゃんのことを、知りたい」

と話しました。

それから僕は、何度かの電話を通して、
父のことを知り

そして去年の秋ごろ、僕は初めて父の住む家を訪れたのでした。

さて、ずいぶんと長くなってしまいました笑💦
つづき詳しくは、また次のブログにしようと思います!✨

僕と父は50歳も離れているということや、父と母の出会い、
父の生きる世界。

いろんなことを知り、学びました。

母と父も20歳差ですが、年の差なんていう壁、家族・苗字・家庭などの枠、そんなもの、なにも問題じゃないんです✨

最後に、つい先日わかながTwitterで書いてくれた素敵なメッセージを、ここに載せておきます!

わかな
宇宙の138億年もの長い年月の間に
同じ星に生まれて、同じ時代、同じ国に生まれて
出逢った事自体が奇跡で。

今、周りにいる人は
人間の生きるそんな僅かな数十年に奇跡的に
出逢えた人。

そんな中、好きな人や愛し合える人に出逢えるのは
本当に特別な事。

ほんの僅かないろいろの差なんて
ないも同然で、
今周りにいる全てが、特別な存在。




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